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㈱はせがわ 長谷川裕一様


7月に静岡県浜松市で行われたクライアントフェスティバルでの体験スピーチの内容です。
このような記念すべき大会にお話をする機会を頂きまして身に余る光栄と心から感謝致しております。
振り返ってみますと、いろいろな失敗を繰り返しながらも今日の私があるのは、父と母のお陰だと思います。 
両親とも体が弱く、父はインドネシアに戦争で出征し、母は一人で間口2間奥行4間半の店を切り盛りし、女手一つで私を育ててくれました。
私はご近所の方から可愛がられ、いろんな物を食べさせてくれるものですから、毎日お腹をこわし、このような記念すべき大会にお話をする機会を頂きまして身に余る光栄と心から感謝致しております。
振り返ってみますと、いろいろな失敗を繰り返しながらも今日の私があるのは、父と母のお陰だと思います。 
両親とも体が弱く、父はインドネシアに戦争で出征母がたまりかねて「この子に何も与えないで下さい」と首から札をぶら下げていました。
私が小学校に入りまして、賞を取りましたら、父がとても喜び仏壇の上に飾ってくれ、来る人来る人に自慢するんです。私のことを自慢し喜んでくれるのをとても嬉しく、父の期待に応えたくて頑張ってきたような気がします。
私が少しでも前進すると、「お前は賢い、お父さんよりも記憶力が良い、お前は素晴しい」と、私は素晴しい、素晴しいと言って育てられたものですから反抗期がなく、又両親にたてついた記憶がないんです。
ある時、前のおじさんが私をからかうのが好きで、「お前とこ人が死んだら 儲かるからいいね」と言われ、何故か我慢ならなくなり、松葉箒でそのおじさんを後ろから思いっきり殴ったんです。両親がその方に、平身姿勢で謝って、見せしめに前の電信柱にずっとくくられた思いがありました。
私の両親は、「こんなに尊い仕事はないよ、手を合わせて拝んで頂けるようなありがたい仕事だ」と私に言ってくれていたので、「人が死んだら儲かるだろう」という言葉に我慢できなかったんです。その精神と言うのは、子供のころから両親に言われ、養われたような気がします。ですから早く両親の手伝いをしようと思い、高校に行かないつもりでしたが、両親の勧めで親孝行の為に高校へ進学しました。

私の学校は、退学者を毎年10名位出しているような筑豊地方でも一番悪い学校でした。その中で、私が生徒会長に選ばれ、新しい所に校舎が移るということで、土足で上り泥だらけの校舎を、私は両親の教えで、どうせ壊すのだから汚れたままでいいのではなく、「長い間ありがとうございましたという感謝の気持ちでピカピカに磨き上げよう」と、雑巾も持ったことのない生徒に呼びかけ、ピカピカに磨き上げました。そしていろんなことを改革し、私も大変自信がつきました。

大学時代、空手部に所属し、体が弱かったのですが基本を人の3倍練習し、今も言い伝えられている記録を残しています。私は空手で基本の大切さを学び、商人の基本はお客様を大切にすること、一言で言うと「ありがとうございます」という感謝の気持ちが商人の基本で、このことに徹底していくとい うことを空手から学びました。

また、中央執行委員長をさせて頂いておりましたおりに、親から言われたことをやるのではなく、両親から授かった魂と肉体、これが最高に生き生きと発揮されて自身が納得いく人生を歩んで初めて親孝行になるのではないか、その為には自分自身の人生観、世界観を確立する必要があると思い、様々な勉強をしました。 
その結果、世界の平和=仏教の素晴らしさに気づかされました。
日本は家庭の中にお仏壇があって、お仏壇の前で感謝することなど、大切なことを親から伝えられているんです。
後で気づいたことですが、毎日お経を上げて無限力があるということを確認するアファーメーションし、理想の世界をビジュアリゼーションしているんです。SMIはこの宇宙の真理、最高のシステムで、私達にわかりやすく、トータルパースンとして私達に気づかせ、ビーング目覚めさせてくれる、これは釈尊の教えを伝えてきた仏教、そしてSMIのポール J、マイヤーさんのシステムは全く同じだということに気づき、凄いなと思いました。
お仏壇の前で大切なことが伝えられるこんな尊いお仕事はない、私たちが世界の幸せと繁栄にお役に立てる、お仏壇という仕事に命をかけよう、そう確信したのです。
そういう中で、京都のナンバー1・2というお仏壇屋さんを訪問させて頂いた時、使命感をもってお仕事をされていないことを感じた時、私は日本一になる、日本一になれる、日本一だという自覚が出来ました。それから私は、日本一の気持ちで売上が下がってどん底の直方に帰って、15坪の小さなお仏壇屋さんを継ぐことにしました。

その年の11月9日に三井三池の爆発事故がありまして、四百数十名の方がお亡くなりになりました。
私はこの時になんとしてもお亡くなりになられた方を大切にしたい、そして残されたご家族の方のためにもお仏壇を納めに行こうと、爆発の二日後、大牟田に参りました。
地獄のような状態でした。通常ではお目にかかれない責任者の方にお会いできましたが、「人の不幸を商売にするのか」と言って叱られました。しかし私は、「亡くなられた尊い方々をこのままにしておいていいんですか、先ず大切なのは、お供養ではないのですか。仏様を大切にすることが第一じゃないんですか」、こう訴えたら聞き入れて下さり、私に亡くなられた方の御名簿を下さいました。
私は、一件一件亡くなられたご家庭にお参りをさせて頂き、80件の方にお仏壇を納めさせて頂きました。そして今も感謝して頂いておりますし、お子さんが皆立派に育ち、お母様を大切にし、お母様の為に立派な家を建てていらっしゃいます。

4年後の26歳の時、九州で一番大きなお寺が建つことになり、その本堂は出来ましたが、一番大切なお仏壇が10月10日の本願寺様をお迎えし、お祝いする日までに100日しかなかったんです。大きなお仏壇ですから通常だと納期に1年かかります。でも、私は何としても皆さんの願いを叶えて差し上げたかったので技術はありませんでしたが、誰もが出来ないと言った納期に間に合わせると言いました。でも実績もないわけですから誰も信用していません。しかし、私は93日で納品させて頂き、いまだに歪も1ミリのくるいもありません。その時、私は技術の面でも京都をしのぐことができると確信しました。

日本の美と日本の心を誰でもお求めできるように、日本で最初の手作り流れ作業の工場を直方で作ることが出来ました。このお仏壇は、京都の問屋さんから全国に広がり、発展していきました。
その後、チェーンストア化にすることを考え、3年間徹底的に社員と一緒に研修をして、上司がカラスは白いといったら末端まで、カラスは白いというまで、チェーンストアの理論を徹底的に入れました。お陰様で、出来ないといわれたチェーンストア化も出来、宗教用具として世界で始めての株式を上場させることが出来ました。

しかし、時代は大きく変わりました。バブルも崩壊し、チェーンストアの理論では経営は成り立たなくなってきました。私は、SMIをしっかり勉強させて頂いておりましたが、チェーンストアを進めていく時には、SMIのやり方がマイナスになると誤解していたので、一時SMIから遠ざかっていたんです。
でも、今日のお客様が多様化された時代、デフレの時代になりますと従来のチェーンストアのやり方ではお客様が信じてくださらない、そこで大変革を図るため、今年が第4の創業期です。
幸いにも、株式会社やずやの矢頭社長様にお目にかかり、はせがわは、金太郎飴を作って、指示待ち社員を作っていたことに気づかされました。これでは、上司の方ばかり見て、お客様の方を向いていない、これでは、はせがわは滅びるだけだ、すべてお客様のほうを向き、お客様の為に工夫をする、その精神に立ち返らなければならない。
そういう時、矢頭社長様のお話を承って、まさに私が大学を卒業して戻ってきたときに、あの燃えるような思いが矢頭さんから感じ取られて、その背景は、SMIカンパニーを採用して矢頭社長の考え方を全社員が共有して、皆セルフモティベーションしている、そして常に肯定的・前向きな言葉で全社員が一つになっていると感じました。 
その時に上射場社長をご紹介頂きまして、はせがわでSMIカンパニーを採用させて頂き、今は第5期生になっております。
はせがわは、変わってきました。一人ひとりのお客様から最高にご満足頂くこと、一人ひとりの社員がはせがわの社員で良かったと心から喜んでお仕事をさせて頂く、そして一人ひとりの社員が、使命を果たしていくことにより、日本の国が変わっていく、それが私自身の間違った判断によって、社員に苦労をかけていた、まず、私自身が生まれ変わらなければならない、本来の自己に帰らなければならない。素晴らしい日本一のはせがわの社員集団が、日本の国々の柱にきっとなってくれるだろうと、そういう風に思って参りますと、私はなんという素晴らしい社員に恵まれていたんだろうと思います。
いま社員は生き生きと、蘇ったように、水を得た魚のように、目を輝かせ、お客様の為に頑張ってくれるようになりました。
私の誇りは社員です。社員が本当に無限の可能性を持ってくれている、社員の一人ひとりが正しい方向に向いてくれている、私という芯がぶれなければ、無限のお役に立っていけることが出来る、そういうことを今私は、熱く感じさせて頂いております。
世界の平和の為にお役に立たせて頂くのだという思いで一杯でございます。今後更にSMIカンパニーを全社に普及し、SMIを柱にしてこれからも皆様にご支援して頂けるように、勉強して参りたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。